• 2017.05.2608:00
  • 自己分析

【中川淳一郎コラムvol.29】悩み相談)学生時代、「頑張ったこと」が特にありません。自分のアピールポイントというのは、どうやって見つけたらいいのでしょうか。

Q)学生時代、「頑張ったこと」が特にありません。華々しい経歴もないし、趣味らしい趣味や特技もありません。自分のアピールポイントというのは、どうやって見つけたらいいのでしょうか。就活のマニュアルを読むと、私のように履歴書に書くことがない人間に対しては「過去の自分を時系列で振り返り、楽しかったことや苦労したことを書き出してみましょう」などとありますが、これをやってみてもなかなかアピールできそうなものがなく……。
 
A) あぁ、あなたの言っていること、よくわかります。就活関連の「あなたが頑張ったこと」となると、大抵の人は大学時代のこと、まぁ、せめて高校時代のことを書くんですよね。でもね、本当のことを言うと、一番頑張ったのは生まれた直後なワケですよ。まだ目も見えない状態で、お母さんのお腹の中から出てきて、まったく違う環境でワンワン泣きまくるわけですね。どんだけ新生児、すげーんだよ、記憶ない時にオレ、よく頑張った! ってな話なわけです。
 
それなのに、分別がある程度つく状態になったところで、「私が頑張ったのは、大学時代のバイトで、サブリーダーとして……」的な話になっていく。結局「頑張ったこと」を聞くこと自体は愚問である、という前提に立ったうえで、「頑張ったこと」をなんとか作り出す方法を考えてみましょうか。
 
新生児の時の話は極端ではありますが、私自身、人生で最も頑張ったのは小学校4年生の夏休みか、小学校5年の秋から小学校6年の夏にかけてのどちらかです。でも、これらのエピソードは就活の面接では使いませんでした。理由は、「これらのエピソードは就活で使うにはバカ過ぎるし、時間が経ち過ぎている」ということに行きつきます。
 
前者のエピソードについては、40日間の夏休みの間に市営のプールに50回行くと目標を立てるも、残り5日でまだ40回。そこで慌てて5日連続で午前、午後と1回ずつプールに行くという荒行を自らに課したというものです。後者については、5年生の夏、一人で祖母の家に預けられた間の1ヶ月で体重が42kgから57kgに増えてしまい、デブになったため、それから1年かけて(身長は8cmほど伸びながらも)42kgに戻したというものです。
 
どちらを見ても、「無理やりプールに行った」「食べたいものを食べず欲望を抑え、運動をした」という程度のエピソードなのですが、どう考えても私の人生で最も頑張ったのはこの2つのエピソードです。
 
しかし、これを就活では使うことができない。ということは、「頑張ったこと」をいくら書き出しても意味はないってことなんですよ。だって、本当に頑張ったことを面接で述べたとしても、それが面接官の心に響くかどうか、分かるわけもありませんからね。「プールに50回行くことを達成するために終盤に追い込みをかけた」とか「1年で15kgやせた」なんて超個人的な話ですからね。
 
考えとしては、面接でウケるかどうかは分からないものの、“本当の本当に頑張ったこと”を言ってしまう、という手はあります。それはまさに「腹から出る言葉」なわけですから。ただ、「頑張ったこと」の真意をさぐると、単に「根性出したエピソードありますか?」みたいな話なんですよね……。ならば、昔過ぎる話ではなく、現在のあなたという人間が「頑張り」を見せた話をした方が、社会人になった時のあなたとのリンクがしやすくなるかもしれない。
 
「頑張った」というキラキラした言葉になるからこそ、なかなか適切なエピソードは見つからないけど、「根性出した」だったら案外見つかりませんか? 私の大学時代の場合でいえば、中国人の留学生らと一緒に餃子を作る会で根性出しました。「ひき肉を買ってきて」と中国人の女性から言われ、牛のひき肉を買ってきました。すると、「餃子にひき肉といえば、豚に決まってるでしょ、馬鹿!」と猛烈に怒られ、そこで根性出して豚のひき肉を買いに1km先のスーパーまで自転車を飛ばしすぐに材料を持ってきた。さらには上手に包む技を見せる上に牛ひき肉でハンバーグを作り、中国人に一矢報い、認めてもらった――。まぁ、こんな話になります。
 
「頑張ったことはなんですか?」という質問は、本心から悔しかったこと、そして、その悔しさから根性を発揮したエピソードを「腹から」語る程度でOKだと思います。いちいち過去の自分の行動をリスト化する必要なんてありません。むかついたこと、そして相手から認めてもらえたことを書けばいいんですよ。
 
 

【筆者プロフィール】

中川淳一郎(なかがわじゅんいちろう)
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編集者
 
1973年生まれ。東京都立川市出身。1997年一橋大学商学部卒業後博報堂入社。
CC局(現PR戦略局)に配属され、企業PRを担当。2001年に無職になり、以後フリーライターや編集業務を行ったり、某PR会社に在籍したりした後ネットニュースの編集者になる。
 
著書に『ウェブはバカと暇人のもの』(光文社新書) や『内定童貞』(星海社)など。

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