- Profile
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氏名:下山 航平
職種:記者
入社:2011年4月
部署:スポーツ局 スポーツ部
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2011年、大学卒業(経済学部)。同年4月、朝日放送株式会社入社、スポーツ局スポーツ部に配属される。入社直後は、夕方のニュース番組「キャスト」内スポーツコーナーで様々な経験を積む。2012年、阪神タイガースの担当記者になり、さまざまな選手の取材をする一方でタイガース情報番組「虎バン」も担当している。また、夏には、昔からの憧れだった「熱闘甲子園」にも携わっている。
What I do -こんな仕事をしています- 「熱闘甲子園」を作っている会社に興味がありました。
私は、特に放送局へ就職したいと思っていたわけではなかったので、放送局は朝日放送しか受けませんでした。
なぜ朝日放送だったかというと、高校野球が大好きで朝日放送の「熱闘甲子園」を小さな頃から見ていたからです。
北海道で野球をやっていたのですが、当時、甲子園はとても遠い夢のような場所で、
球児たちの熱い闘いにわくわくしながら、毎日楽しみに見ていたのを思い出します。
そんな感動を与える番組を作る会社って、どんな会社なのだろうと、とても関心があったのです。
そのような理由から、朝日放送の入社試験を受け、幸運にも採用決定。
入社後も最初の希望通りにスポーツ局、スポーツ部に配属されました。
入社直後は、色々な経験を積むために夕方のスポーツコーナーに携わり、番組制作の基礎や取材の方法などを学びました。
スポーツ部はテレビとラジオの両方の業務があり、ラジオのスポーツ中継のディレクターなども担当しました。生放送なので、気を使うし、ミスが許されません。アナウンサーの力は大きいですが、裏方のサポートがあればこそだと実感しました。
また、スポーツイベントの取材にもしばしば出向きます。神戸マラソンやプロ野球の催事等の取材もします。
入社して初めての取材は、「阪神タイガースの夏季限定ユニフォームお披露目会」でした。入社1年目でも様々な取材を任されます。場数を踏んで現場で覚えるという感じです。元々取材が好きなので苦になりませんが、やはり先輩の助言なしでは、やってこられなかったと思います。上下関係は非常に良いので、何でも先輩に聞きやすい雰囲気です。
現在は、阪神タイガースの選手の取材をしながら、夏は「熱闘甲子園」の担当として、高校野球をメインに取材をしています。
高校でも野球をしていた私には、ぴったりの仕事だと思いますが、「好き」という気持ちだけではやっていけないプロの厳しさがあります。
その壁を超えれば、また新たな何かが見えてきそうです。
My work -先輩たちの働く姿- 良い時も悪い時も変わらない態度で、選手の所へ通い続けたからこそ、信頼を勝ち取れた。
シーズンを通して阪神タイガース担当の記者をしています。阪神タイガースを紹介する「虎バン」という番組を担当し、取材した内容を編集し特集としてオンエアしています。単純に野球が好き…だけでは番組は作れません。どうすれば視聴者に伝わりやすいか常に考えています。 阪神タイガースの取材をするようになり3年たちますが、チームや選手の調子が良い時だけでなく、悪い時こそ取材に行くようにしています。 3年前から取材しているある選手は調子の良い時と悪い時の波がある方でした。 表情にも気持ちが出やすく日によって機嫌がまちまち…。 いつもあまり愛想のない方なので、「嫌われているのかな」とさえ思うほどです。 でも調子が悪い時にも、甲子園で試合がある時は毎日出向き、挨拶だけでもしていました。 守備が上手い選手に贈られるゴールデングラブ賞を穫るくらいのすごい選手なんですが、2015年になって、非常に調子が悪くなってしまいました。 みんな彼の話が聞きたいのですが、かなり声をかけづらい雰囲気でした。ですが、ファンとしてはそんな時こそ、選手として何を思っているのだろう…と、気になるところでしょう。 ぜひファンの方たちに、彼の気持ちや体調、状況を伝えたいと思ったのです。 そこで「虎バン」で、彼の特集を組むことにしました。インタビューをお願いしましたが、最初は断わられ、何度かお願いし、やっと承諾していただけました。 後から彼と仲の良いアナウンサーから聞いたのですが、「ずっと長い間、取材をしてきてくれた彼ならいいものを作ってくれるはずだ」と言ってくれたそうで、感激しました。 その選手の所へ通い続けて心から良かったと思いました。不安になることもありましたが、信頼関係を築けていたことは、本当にうれしいです。 番組を通して、彼の苦しみや野球に対する思いをファンにも伝えることができ、感慨深い取材となりました。
My work -先輩たちの働く姿- 大きな影響力があることにやりがいを感じています。
「熱闘甲子園」は、1979年に初めて放送されましたが、最初は単発だったと聞いています。その後、何度か形態を変えリニューアルを繰り返し、今のような形になりました。 子どもの頃からずっと観ていた「熱闘甲子園」の制作に、現在携わっていることは、幸せなことだと実感しています。 自分が担当した試合にはどんなドラマがあるのか、クライマックスはどこか、注目の選手は誰か…など試合のダイジェストにエピソードを交えて、取材を元に、1本のパッケージとしてオンエアしています。 あるプロ野球選手から「高校の時、熱闘甲子園をずっと見ていた。それで甲子園に絶対出たいと思い、実現したよ」と言われ、うれしさとともに番組の影響力に感心しました。 今では、自分がかかわっている番組なので、手前味噌になりますが、ひとつの番組が人の人生を切り開くきっかけとなり得るかもしれないと思うのです。 私自身、あの番組が契機となり、野球の魅力をテレビで伝えるという仕事に就きました。 自分が担当した番組、ニュース、作った映像により「野球ってかっこいい」「甲子園に出たい」など、野球を始めるきっかけになってくれるなら、それほど光栄なことはありません。レベルの高い日本の野球界にほんの少し役立てているかもしれない…なんて大それたことまで考えてしまいます。それほどに、この仕事は素晴しいと感じます。 たとえ野球選手にならなくても、テレビを見ること、ラジオを聴くことでいろんな発見があるのではないでしょうか。 多くの人に情報を伝え、時には大きな影響を与えることがあるというメッセージ力がこの仕事の醍醐味だと思います。
Growth and development -成長を実感したい- 視聴者の心や感覚を大事に持ち続けることが大切
子どもの頃から高校野球が好きで、今は、「熱闘甲子園」を見る側から作る側へと変わりました。 入社して最初の1年目は、外から見ているのと内部で作るとの落差に驚き、見ているだけの方が良かったと感じるほど、きつかったです。 こんなに大変なのかと思うと同時に、こんな風に番組を作って視聴者に発信しているんだと、作り手のプライドを知ることができました。 先輩から「視聴者から作り手に変わったとしても、視聴者の心や感覚を大事に持ち続けることが大切」だと助言されました。 完全に作り手の感覚になってはダメだと。作り手の自己満足にならないよう、バランスが大切です。 現在、入社して5年目ですが、まだまだ足りない部分がいっぱいあると感じています。「熱闘甲子園」も毎年担当していますが、長寿番組ゆえに、このままでいいのかと試行錯誤の日々です。「今の方が良い」という人もいれば、「昔の方が良かった」と言われることもあり、感想は千差万別です。正解はないからこそ、難しく面白いのかもしれません。 また、いつまでもオンエアし続けられるのか…もしなくなれば球児の楽しみがなくなる…など色々な気持ちがよぎります。いずれにせよ、影響力の強いこの番組をこれからも自分が守り、良いものにしていきたいと固く思います。 今はもっと勉強して、いつかプロデューサーになった時に役に立つように、様々なことを積み上げていきたいです。具体的に何をするかというと難しいのですが…あらゆる経験が糧になると思っています。たとえば映画を観に行くとしても、評判の良い映画も悪い映画もどちらも観ることが勉強につながります。演出の何が良くて何が受けないのか、そのヒントを探せるからです。 先輩からも色々アドバイスをもらいつつ、後輩にも指導する立場となりました。自分が教えられたように、きっちりと注意もしていきたいです。チームで仕事をすることが多いので、撮影などを担当する外部のスタッフとのコミュニケーションも大切です。人との関係性がますます大切になっていきます。人への接し方について、この5年で大きく学びました。 番組制作を通して、様々な立場の思いを知りながら、自分がすべきことは何なのかが、わかってきた気がします。少しは成長できたのではないでしょうか。地道に毎日選手の所へ通うこと、番組を守ること…日々の積み重ねこそ大切だと実感しています。